正欲 ( Audible 版) 感想 (ネタバレあり)
あまりにも面白すぎて途中途中で感想が漏れ出てしまっていた
道中、ついに佐々木夫妻となった佳道と夏月だが、味をしめた佳道が「この関係を広げてみない?」と提案するところでもうウゥゥ〜〜〜〜〜ってなった
寺井の性格からして佐々木夫妻の関係性は絶対理解できないだろうし、恐らくパクられて取り調べをされるであろう展開は読めてしまったので
しかし、冒頭の無機質なニュースでは嫌悪の対象でしかなかった諸星と佐々木に対してすっかり肩入れするように構成されているからめちゃくちゃ悲しい
ゼミ合宿を欠席して "パーティ" に参加しようとする諸星をストーカーしていた(と言っていいよな?)神戸が議論するくだりは白眉で、自分の中の諸星と自分の中の神戸が対話しているかのようであった
社会が多面性を内在しているように個の中も画一的ではない.....と信じているし
そこから田吉の聴取のシーンがはじまった時は声が出てしまった
作者のいやらしいのは、この田吉の章だけ終始田吉の発話が占めているところ
フジワラサトルを嘲笑した佐々木と桐生が所属していたクラス、桐生を一方的に詰ってきた女(名前は忘れた)、そしてタイキを "社会の正しいルート" へ矯正しようとする寺井、全てが暴力的に感じた
佳道の語りに変わってからその内面を想像するしかなくなっていた夏月がついに寺井と相対する章は本当に痺れた
寺井の側も明らかにユミの不貞が明らかになっていそうで精神が不安定そうなのもあって、己が "社会正義" と信じるモノは自分と妻と息子を結びつけてくれないのに、自分が理解できないモノで結びついている2人は結託しているわけでもなくシンクロするように同じ台詞を吐くあたりはもう.....もう....!!! そしてエピローグ的に神戸が諸星への執着をなくした(?)ように自分が "正しい" と信じている学祭の運営に戻っていくのはなんか.....なんというか.....
佐々木夫妻に現実のフジワラサトルも、インターネット上のサトル・フジワラもみんなこの世へのアンカーがあったらいいね、と願っていたのも虚しく、リアルフジワラサトルは車で蛇口にタックルしてたのはなんともビターというか....なんというか....
桐生と佐々木の視点を経ているから、フジワラにもやや同情的になれるが、起こったことだけを羅列したら「何コイツ?」ってなるのは仕方ない....のだが、でもそれはあの日のクラスの面々とやってること同じなんだよな
全てが終わった今、一番やばかった奴は神戸じゃね?とどうしてもおもってしまう
偶発的とはいえ、勝手に実家がバレててしかも実家の前に最も居てほしくない人がいるってむっっっっっっちゃゾッとする
まあ私は諸星ほど端整な人間ではないのでついぞ経験したことはないが....
「あーアイツはペドフェリアだったんだ、次いこ次」みたいなノリ(?)で自分の正しさを信じて、まだまだ他者にそれを押し付けんとする様は正に書名である "正欲" を満たし、マイノリティを消費しているように感じた
そしてこの "会話は〜" は社会のあらゆるところで偏在しているとおもっていて、そこら辺のちょっとしたバズってるツイのリプ欄を見れば対話などまるで成立していないことが手に取るように分かる
アメリカじゃ Truth Social と棲み分けられる程度に分断が進んでいるように見えるし、ちょうどさっき議会を解散すると宣言したマクロンは自分の支持者を鼓舞するような演説をしていたけど、EU議会でルペンたちに投じている人たちには全く響かない演説だろうなとおもった 神戸は自分に対する視線に関してはとても敏感なのに対して、自分の諸星への視線にはとても鈍感なんだなとおもった
ユメに託されるシーンはその後の展開を予期するようで非常に気持ち悪かった
実際諸星にはモロバレだったわけで
ストーカーの性加害者まがいの人間に「私とのつながりも忘れるなよ」って言われるのかなり怖いぞ
佐々木夫妻と諸星の嗜好を水にしたのは作者のうまい落とし所(?)だとおもった
この話は作中に出てくる様々な "倒錯的な" 嗜好でも成り立つ話だとおもうが、直球にペドフェリアだったら3人(+1人)にそもそも感情移入できないだろうし、他のバイオレントな嗜好でも厳しいだろう
そして水というのが社会のメタファーとなったり、他人のメタファーとなったり、ダブルミーニング的にも扱える対象ってあたりがうまいなと
しかしまあ、なんか水を扱えるスタジオだとか、屋外がよければ AirBnB でデカい庭のあるとこを借りるとかで集まればよかったんじゃね?とついおもってしまう よりにもよって公園て!せめてもっと生活圏から遠い公園にしろよ!!
日々中指を立てながら税金を払ったりしてるのは、無政府状態に陥ったら暮らしていけるのか...?という不安を梃子に恫喝されているようなもんで「明日死にたくない」から現状維持におもねっているだけなのだが、ミクロで考えたらなんでこんなクソみたいなクニの片棒を担いでんだ?とどうしても考えてしまう しかし、原理的にリバタリアニズムにはモラルなど存在していないわけで、そしてその終着点は加速主義なんだとおもうけど、なんつーか楽観的というか....「じゃあ自分になんかあった時どーすんの?」という問いに「自由を享受するためには相応のコストがかかるじゃん?」という返答になるんだとおもうが、そんじゃあオレはコンフォーミストだなあ....という結論になってしまう 例えばタイキとその友達(さらに言えばその語彙を植え付けたデマゴーグのガキ)が「元号が変われば社会も変革するんだ」と空虚な題目を唱えるわけだが、じゃあどう変わるワケ?みたいなことには一切答えない....というより答えられないのだ、ビジョンがなくて、ただ己が学校に馴染めないということを正当化するためだけに唱えているから 現実でも風前の灯火にしか見えない岸田がかつて唱えていた「新しい資本主義」だの「デジタル田園都市」だのはどうなった?何か実現されたか?
作中の金沢八景大学(それってアソコじゃね?っておもってしまうわけだが)の学祭でもダイバーシティフェスと掲げて社会包摂を唱えるわけだが、それが具体的にどういったモノなのかというのは何も提示しないのだ
"つながり" は作中のひとつのキーワードだとおもうが、ヨシカやサヤたちのように無条件によいものだとはどうしてもおもえない
もちろん孤独も精神衛生上よろしくないとはおもうが
オレは寺井の主張には全面的には賛成できないけど、それにしても検察ってのは加害者のためにいるんじゃねえ、法治社会において法に照らして被害者を救済するためにいるんだってのはその通りだとおもう ....が、法治を信奉している(本当に?)割には法律なんか制定したことないし、なんならロクに読んだこともねえし、雰囲気で生きてるだけだ
しかし、じゃあ法律から、社会から爪弾きにされる存在になったら.....? いや、そもそももう社会にはお呼ばれでない存在なんだとしたら....?
自分は相容れねえとおもったとしても、寺井のように実行力を持ってそれを社会に実現することはできねえんだが、1億人を統治しようとすれば、どっかで線を引かないといけないのは理解できる
作中の佐々木夫妻からしてみたらウォーターワールドなんかは成人映画以外の何物でもないだろう(そういうことではない?? 水フェチじゃないからワカラン) そこそこ技術に明るい友人たちに「いわゆるビッグテック的な会社が己(やそのステークホルダー)の価値観で生成の結果を曲げてるのは新しい検閲のカタチじゃない???」って話をするんだけど、その度に「パラノイアだなあ」というような反応をもらう 体感として、決済の領域で検閲が行われていると感じていて、手段を変えながら統治する側の論理で検閲されている、とおもう
パラノイアとまでは言わないけど、じゃあ例えばそれに抗ったとして、独りでどうにかなるワケ?みたいなことも言われるけど、それは冷笑主義というか虚無主義というか そこで自分の中の諸星が「てめえらの杓子定規で測ろうとするんじゃねえ!」と叫ぶし、それに対して自分の中の神戸が「どっかで落とし所見つけねえと社会が成り立たねえだろ!」と叫ぶ
今よりもローテクな時代ならば、選挙で選ばれた代議士(の感性)こそ社会の感性!といってもそこまでヘンではなかった(もちろんその社会でもはみ出してしまった人たちがたくさんいるのはわかる)んだろうけど、100年前の人が人生で "つながる" ことができた人数がごく短い時間で可能になってしまった現代において、娯楽コンテンツが大量に産み出され続けている現代において、社会とはどのように運用されているべきなんだろう? 何度も書いてる気がするけど、モザイクはやっぱり臭い物には蓋的な精神が詰まってるとおもっていて、タイムラインをミュートし続けてユートピアエコーチェンバーを形成している人に、そんな世界オモロいか?とおもいつつ、実際問題としてそれなりに知名度ある人が "相容れねえ" 人が大量に押し寄せる中で自衛せざるを得ないのは分かる....
似た話で、生成でネタのようにベゾスやマスク、アルトマンのミームっぽい画像が作られてたり、スカヨハっぽい声を勝手に生成されたりしてることに対して、じゃあどうすればいいの?ってのは個人的にはもうそれはそういう技術があるものとして個々人が受け入れていくしかないんじゃない、というスタンスだけど、例えば自分の声がサンプリングされて自分の全く意図していないことが語られるようなモノがガンガン出回ってたら実際どういう受け止めになるんだろう?ってのはもう想像力が及ばない...ていうかどれだけ自分の声や容姿にアイデンティティがあるんだろう? しかし、それはただ回答を先延ばししているだけというか....進んで田吉のようになりたいとはおもわないが、しかし無言で佳道と田吉の職場にいる同僚たちを地でやってるのが自分の人生かのように感じる
それこそがコンフォーミスト
とまあ、こんな調子で自分の実存や社会、ひいては世界とどう共生していくのか、というかなり根源的なところを揺さぶられる、本当に面白い作品だった
オーディオブック翻案チームもグッジョブで、語り手毎に声が変わるのは活字とはまた違った体験ができたとおもう